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かなかなノート 2015年04月
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かなかなノート

こども絵画研究所 かなかなファクトリーのまわりのこといろいろをノートしていきます。

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我が母校!

高校卒業以来、我が母校にうん十年ぶりに行って来ました!

私は奈良県出身ですが、当時も今も公立高校で音楽、美術の専門コースがあるのは、この高校だけです。自宅からは片道2時間弱という通学時間をかけても行きたい高校でした。

私は1年生の時には音楽コースのクラスにいました。吹奏楽部にも入りました。でも、どうしてもピアノの練習が苦痛だったこと、指が短いので指の間の水かきを切った方が良いと言われたこと(音大に入るための専門のピアノの先生に見てもらった時に)などが理由で音楽コースから美術コースに変えてもらうことにしました。当時、校長室に呼び出され『これは前代未聞だ』と言われましたが、何と言っても私は2期生でしたからー当然でしょう〜(^ ^;)そして美術の学年主任に呼び出され『なぜ音楽から美術に変わりたいのだ』との質問に、

『ピアノは何時間も弾くのは苦痛ですが、絵を描くのは何時間でも平気です。』
『たぶん、音楽より美術の方が好きなんだと思います。』

と応えましたが、『そんな安易な理由で絵を描かれたら困る』と言われました。
でも、私は今でも信じています。『好きなこと』が何より1番なんだということ。

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こちらのデッサン室には毎日、放課後も残って描いていました。デッサンの成績は最初からAをもらっていたので、その後は先生にももう何も言われなくなりました(>∇<) この教室が一番の思い出です。木炭デッサンは当時は消しゴム代わりに食パンを練って使っていました。1〜2枚ほどパンがあれば充分なのですが、いつも1斤持って行き、残りは食べながら描いていたのを覚えています(^ ^;)

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当時は、美術室を初め、デッサン室、油画室、彫塑室、デザイン室、版画室などがありましたが、版画室は全く機能しておらず、版画を制作した覚えもありませんでした。私は将来のことを考えて、大学はデザイン科に進み、企業にてインテリアデザイナーとして5年勤めましたが、デザイナーという職に疑問を感じてNYにもう一度アートを学びに飛びました。最初はアートセラピーを勉強したかったのですが…私の語学力では難しく断念。デザイナーの間に温めていた版画を一から学ぶことにしました。もし、高校の時に版画を体験していたら…こんな遠回りはしなかったのではないかと思うこともありますが、でも私のデザイナー体験は貴重な5年間だったと、今では思うようになりました。

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美術専攻の男の子は10名ほどしかいませんでした。無謀なことに、みんな東京芸大を目指して浪人していたという話は聞きましたが、その後みんなどこへ行ったのか全く知りませんでした。この左のデッサンはその一人のHくんの作品が今も飾られていて、金沢美大に行ったと記されていました。みんながんばっていたのだな〜。

私は中学生の頃から大阪芸大に行くと決めていました。それは音楽でも美術でもどちらにしても…。
私の中学の頃のピアノの先生が大芸卒の先生でした。とても優秀な先生で、4年間なんと学費免除で通されたそう。大芸で学費免除生は、全部『優』でないとなれません。一般教科であっても1つでも『良』がつくと免除対象外です。それを4年間というのはかなりスゴイ生徒だったのだと思います。そんな先生に、いつも大芸の話を聞いたり、パンフレットを見せてもらったりしていました。そして一番の決め手は、当時は推薦入試もない大学で、学費免除制度で受験するか、一般受験かのどちらかしかありませんでした。その一般受験では、どの科も学科試験がなく、実技だけの試験だと聞いたのです。
『そんな素晴らしい大学があるのか!』
『山下清も入学できるではないか!』
私は当時は山下清くらいしか知りませんでしたが、彼のスゴさは子どもながらに理解はできていました。学校の勉強ができなくても、美術や音楽の才能がある人は世の中にいっぱいいるはず!そんな人達も入れる大学なんて!!と感動したことを覚えています。そして、勉強嫌いの私にはぴったりの学校に違いない!と思ったのでした(^ ^;) 
私は勉強は嫌いでしたが、できない子ではありませんでした。自分でいうのもなんですが、要領が良いというのか、テストの点数は悪いものではありませんでした。大芸は学費免除制度で受験しました。こちらは実技試験に加えて学科試験もありました。私の学年では学費免除生はいなかったようですが、試験で一定以上取ると数名は合格になります。私は学費免除生にはなれませんでしたが、ここで入学許可が出ました。一般で受けるとなると、勉強ができなくても、山下清のようなスゴイ人が来るんじゃないかという恐怖がありました。どちらかというと私の場合は嫌いな学科の方は自信がありましたが、実技にはあまり自信がありませんでした(^ ^;)

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こちらは音楽コースのピアノ室です。20の個室にピアノが1台ずつあります。自分のピアノ、部屋を与えられるようになっています!なんと贅沢な!!こちらは変わりありませんでしたが、この部屋以外に新校舎には鍵がかかっていて見れなかった造形室、そしてグランドピアノ室が何個もありました!

そして私が1年だけいた吹奏楽部はものすごい立派になっていました!!!

私は美術コースに変更した後もしばらくピアノだけは習っていました。練習はほとんどしていませんでしたが(^ ^;) 音楽は嫌いではありませんでした。どちらかというとやっぱり好きでした。音楽か美術かなんて、本当は私には選ぶことなんてできないくらいでした。決め手は練習です。ピアノはとにかく練習が必要でした。でも絵は練習の必要がなかったのです。ピアノの練習は美術のいうところのデッサンでしょうか…デッサンは練習なくてもある程度は描けたということと、デッサンも訓練で上達しますが、ピアノの訓練ほどの苦痛ではなかったということだと思います。これが才能というところなのかもしれません。私は音楽は好きでしたが才能がなかったのだと思います。
それでも音楽もきっぱりと辞めてしまう勇気はなく、レッスンには通っていたのですが、受験前にまた美術の学年主任に『まだピアノをやってるなら辞めなさい』と言われたのです。
これを機に、私はピアノを弾かなくなりました。これは、今となっては後悔の一つです。細々とでも続けておけばよかったな…人生の楽しみの一つとして。

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そしてこちらが同級生達!すっかり貫禄ついて先生?って感じですね(^ ^;)
今年の卒業生は30期生だとか…!あ!歳がばればれ〜(> <)

学校ができて2年目だった頃は何もかもがピカピカだった学校ですが、30年というのはやっぱりびっくりでした。あまりにもぼろぼろで…我が母校か?と目を疑うくらい((T T) 浦島太郎になった気分でした。